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2019.04.17 Wednesday

谷口雅彦写真アーカイブ室から。



谷口雅彦写真アーカイブ室から。

写真は、1986(昭和61)年の北海道旭川市。 前年の昭和60年の人口は36万5036人。4年後の平成元年は36万3704人と減少になるからおそらくこの写真に写る旭川が人口ピークの頃だろう。当時は不思議でもなかった当たり前の光景だったが、いま思えばバスやタクシーも多く、車の数が旭川にしてはすごい。しかも撮影したのは2月の冬祭り時期なので一年で一番極寒。近年はあまりなくなったがマイナス20度超えもしょっちゅうあった頃だ。 旭川は札幌の人口こそケタ違いで越せないが北海道だけではなく東北も含むと仙台に次ぐ、3番目の町だった。それが2015年に福島県いわき市に北海道東北で3番目を渡すことになってしまう。いわき市が率にして7パーセントも増加して34万9344人に達し、その時点で旭川は34万5566人。いわき市の人口が増えたのは原発事故の影響で住めなくなった自治体から移住してきた方々がいるからだ。皮肉なものだ。ちなみに旭川は昨年2018年2月に33万9858人になり34万人を割った。人口減少の波はじわじわと進み、2019年4月1日の時点で33万5323人。長期的な人口減少現象は旭川だけのことではなく日本全国が同時に抱えている深刻な問題だ。旭川市は第8次総合計画の中で2027年度には31万2000人に、高齢化率が全人口の36.5%に達すると予想しているという。 写真に話しを戻そう。今回、当時撮影した同地点からの撮影を試みようとしたが、なんとかつて西武デパートがあったその場所には空き地があるだけ。西武旭川店は2016年9月末に惜しまれつつ41年の歴史に幕を下ろし閉店、昨年末に解体、現時点では同位置の高さでは撮影すらできない。

#北海道旭川市 #昭和61年 #北海道第二都市 #人口減少 #写真 #冬 #2月 #西武旭川店 #谷口雅彦写真アーカイブ室 #昭和の記録 #人口ピーク

2019.04.01 Monday

新元号決まりました!

新しい元号は

令和(れいわ)

 

 

 

 

に決まりました。

 

5月1日から新時代がスタートになります。

 

おめでとうございます。

 

 

出典は万葉集の第五巻

 

初春玲月 氣淑風和 

梅披 鏡前之粉 蘭薫 珮後香

 

初春の令月にして 気淑く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす

から

自宅の蔵書を持ち出して、新元号の出典を確認する。 「万葉集 全訳注 原文付(一)」(講談社文庫)の巻5(377ページ) 初春令月 氣淑風和

#新元号 #令和 #万葉集 #巻5 #初春令月氣淑風和 #講談社文庫

 

 

実は不思議なことに、昨日(3月31日)、急に図書館で「万葉集」を借りてきたのだが、予知していたのだろうかという体験をした。しかも上記のように、講談社文庫版の万葉集は蔵書しているのにもかかわらず。ちなみに借りたのは「古典文学全集2 万葉集」(ポプラ社)。

2019.04.01 Monday

いよいよ。

もうすぐ新元号が発表されます。

何になるでしょう。

雄、厳、則、明、天、和、大、光、幸、麗

上にツノのように見える尖っている漢字のような。

嵯峨天皇の漢詩
日本書記

万葉集

あたりからか。

 

20190401 0842
 

2019.03.31 Sunday

次回のキタシバファイル配信日!



4月21日(日)19時から、FRESH LIVEとYouTube LIVEから[キタシバファイル]生配信!

【出演】 北芝健(元警視庁刑事) 谷口雅彦(写真家) MC 大谷清英(映像作家) 運営 ビィズ・クロコ株式会社 番組登録お願いします。 http://freshlive.tv/kitashiba

#キタシバファイル #北芝健 #谷口雅彦 #大谷清英 #ビィズクロコ株式会社 #未解決事件

2019.03.30 Saturday

谷口雅彦写真アーカイブ室から。

1988年。

昭和が終わる頃、私は東京で知り合って意気投合し、ついには友人3人でシェアで住むくらいの仲になったO君と、夏休みに日本一周の旅に出ることを計画する。

その旅で撮影したネガをいまデジタルデータ化をしているが、撮影当時、場所を記録しないまま自由気ままに撮った写真一コマ一コマの撮影地点を解明し特定する作業は、30年を経たいま、デジタル環境を駆使して新しい写真の魅力を発揮してくれて面白い。これもまたアーカイブの愉しみの一つだろう。

 

1988年8月26日撮影。兵庫県高砂市阿弥陀町生石171にある生石神社。 ネガのラストコマ34コマ目。

google MAPで現在の地点を探してみる。

神社仏閣は長い年月景観を保つことがひとつの意味を持つことから、30年の年月を経ても、あまり変わり映えはしないが、よく観察すると、電話ボックスにの頭に三角の屋根がついたことがわかる。

googleMAPの良さは、街歩きのように地図上で歩くことが出来ることだ。ぼくが30年前に日本一周の旅の時にこんなに便利なツールがあったなら、どんなにか助かっただろう。

当時は携帯電話もないし、ましてやデジタルカメラもないから、フレームザックにフイルムを何十本も持って旅を繰り返したものだ。

 

2019.03.28 Thursday

ありがたいです。


Twitterで元白夜書房編集者でエッセイストの末井昭さんがリツイートメッセージをして下さいました。ありがたいです。当時、大げさではなく命がけて撮影した写真群をいち早く形にする!と手を挙げて下さり、末井さんの生き様を深く感じた仕事でした。 この問題も震災も復興も、まだまだ解決していませんが、あれから8年、日本を意識した我々の未来を語るすべは、あの頃より薄くなってしまってるのかと少々危惧しています。 新時代を迎えるこのタイミングで、日本の未来、豊かなくらしとは何かを問う良い機会になればいいと思っております。

2019.03.26 Tuesday

私の写真について。

私は写真家だ。知人が私のことを人に紹介してくれる時に、まず何を撮っているのかを説明しようとしたり、尋ねられたりする。そんな時に何て答えて良いか迷ってしまうそうだ。

「ずーっと写真を撮っている」とか、「常に首からカメラを下げて過ごしている」などという毎日写真家風だったり、「人や風景や動物もいろいろ撮ってる」と何でも撮る写真家風だったり。
人によっては、ストリップ撮ってる写真家とか舞踏を撮ってる写真家、踊りを撮ってる写真家、ヌードを撮ってる写真家、小説家などのポートレートを撮っている写真家など様々。ドキュメンタリー写真家とか人間の生きざまを撮る写真家と言うのもある。
その全てが当たってはいるが、それは私の写真家人生の一部であってなんだかピシッとしない。

では何と説明すれば良いか。
私自身、いろいろ考えてみた。

いや今さら考えてみたというか、きちんと理由があって写真を世に発表してきたから説明はつく。
ただ皆がうなづくような説明になるかどうかはわからない。
自分自身は整合性は合っているのは間違いない。

私がフリーランスの写真家としてデビューは、1993年の一人のストリッパーの舞台を1年追い続けた写真展だろう。前年に写真家細江英公氏の写真教室に通ったことがきっかけに、三年ちょっと勤めた営業写真のサラリーマンを辞めて写真家としてスタートを切った記念碑的写真展だった。この写真展をきっかけに全国のストリップ劇場を回ってストリッパーを撮り続ける人生が始まる。現在では劇場自体が少なくなってきたので取材する機会は減ったが、今も継続しているテーマである。


○写真展「匂ひたつ聖夜ーストリッパー高樹麗の舞台ー」1993年

○写真展「さよならさりあん最後の旅」2005年

 

○写真展「ストリッパー結奈美子」2009年

○文庫『裸女の秘技絢爛絵巻ーストリップはいまー』2002年 河出書房新社刊

 

○「風に聞け」okayama527さんのブログから
芸事・ストリップ産業衰退の時代背景 日中関係悪化の影響も
2013.1.5 12:00 [westナビ] (写真谷口雅彦)

https://kurasikiar.exblog.jp/i65/2/

 

1992年に参加した写真家細江英公氏の写真教室CORPUSは、東京目黒にあった舞踏家土方巽氏の稽古場を教室にしていたことから、大野一雄氏や和栗由紀夫氏に出会ったことをきっかけに舞踏を撮影し始める。

 

※続きは引き続き書きますので、時々読みに来て下さいね。

 

2019.03.21 Thursday

思うこと。

かねてから私は、望遠レンズで動物を狙い撮る行為について慎重な姿勢を取っている。私は生まれが北海道で小さい頃から写真を撮っているが、野生の動物にカメラを向けるという行為が苦手だった。私は動物が好きで、野生のリスやキタキツネ、ミミズクなど、裏山で普通に出会ったり眺めたりして育った。 しかし私は自然の動物を狙う狩人にはなれなかった。望遠レンズで狙う撮影者は、弾が出ないから罪を問われず騒がれないが、弾が出たら狩人そのものだからだ。ある動物写真家が連写をしないというのは、たぶん連写が機関銃のように闇雲に動物たちを撃つ行為に近い感覚を持ったのではないだろうか。東北の山奥に棲むマタギのように、また北海道の先住民アイヌのように、自然の命を大切に山と台地と共に生きるその見直しを、日本はいましているのだと思うから、このご時世に野生の動物を撮るという写真はまさに時代にマッチした撮影姿勢なのかもしれない。ただ時代のロジックに惑わされないように写真家は慎重になるのが真の写真家たる行為かもしれない。


そんな頑なに頑固だと、美味しい仕事はこなくなるし、いつまでたってもうだつの上がらない写真家になるのがオチだが…。 勘違いしてほしくない、私は動物写真を撮る動物写真家が全て射撃感覚の狩人と言っているのではない。野生動物を撮るその撮影行為自体が、深層心理において例え無意識でも、弾が出る出ないに関わらずシューティングの行為に近い感覚を憶えてしまうだろうということを伝えたいのだ。 やはり当然ながら、写真家は覚悟を決めて撮影に挑むことが大切に思う。 そういう意味では、ストリートスナップという行為も、街中での無差別テロ事件のような心情でもあるのかもしれないと、ここでは記しておきたい。あくまで撮影者の誰か特定の写真家のことを言ってるのではなく、私の経験からくる極論である。

勘違いしてほしくないから再び記すが、けしてその撮影行為をやめなさいと批判しているのではなく、意識して行為に挑んでほしいということを言いたいのだ。

2019.03.16 Saturday

東日本大震災から8年。

私が代表を務めさせていただいている[3.11を忘れない写真家の会]は、参加メンバーの丹野章氏が2016年に、中居裕恭氏が2017年に亡くなり、お二人共に会の精神的支柱の存在であったことから、残された我々は、一度振り返る期間かと感じ、2017年、2018年と、それぞれの写真家たちの個人の活動にお任せすることにいたしました。

私は2017年は福島県浪江町と富岡町、2018年は千葉県旭市で震災の日を迎え、被災地をレポートしてきました。

その間、2017年秋に会の創立から影で屋台骨として頑張ってきてくれた私のアシスタントでもある西岡修氏が、そしてその数ヶ月後には写真集『沈黙と饒舌と -原発のある町-』を出版したライターで編集者の土屋コージン氏が諸事情により活動を辞めて行きました。大変残念なことでしたが本人たちが選んだ道ですから仕方がないことだと受け止め、残された同志で次の展開を模索するしかありません。震災から数年が経ち、その時思った思いを長い年月思い続け行動し続けることの難しさを痛感いたしました。
会はこれからも活動を継続するべく、再び我々に何ができるかを問い、引き続き行動することを考えています。

 

震災から8年。

津波が襲った2011年以降、おそらくこの8年で1番天気が悪くなった3月11日ではないでしょうか。
私は2019年の今年は宮城県石巻市の大川小学校跡地で迎えることにしました。以下、短いですがレポートになります。



[2019年3月11日]

新北上川の河口から約5kmの距離にある大川小学校は、あの日、地震の約50分後に大津波が襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては戦後最悪の惨事となった場所。 ちなみにこの時、スクールバスの運転手も被災した死亡している。
大川小学校跡地は、震災遺構としてアーカイブ保存することが決まっている。

 

昨夜から降り続いた雨で足元が悪いのにもかかわらず、ご遺族や学校関係者と思われる方々が集まっていた。

 

そして14時46分。追悼のサイレンが1分間鳴った。

 

皆、頭を垂れて一願に犠牲になった魂の安寧を祈った。

 

大川小学校の被災については、今でも争うことが続いているくらい難しい。

8年前の、地震と津波が来る前までは、地域に何かが起きた際の避難所が大川小学校だったからだ。

1000年に一度来るか来ないかの強い揺れがあったのだから、想定以上の大津波やもっと大きな揺れが来るのではないかという予想が出来なかったのかと悔やまれるが、当時、自分がそこにいた責任者であったら迅速な支持が出来ただろうかと思うと、胸を張って出来ます!といえない自分がいる。そう思うと、本当に気の毒でいたたまれない出来事だ。

 

少なくとも震災後、生きている(生かされている)私たちが、大川小学校の哀しい出来事をきちんと知ることが必要だし、辛くキツイことだけれど、だからこそ忘れないように意識して語り続けて行くことだと思う。

2019.03.08 Friday

ありがとう須田一政さん。





写真家の須田一政さんが亡くなられたと報道があった。 2年前に、四谷三丁目の写真家平賀淳さんところのギャラリーで開催した私の展覧会に来て下さったのが最後になってしまいました。杖をつかれて奥様に連れられて。 椅子に座っていただいて、近況をお聞きしたり。最近は奥様が運転されている助手席から写真を撮られていると話されていた。 ぼくの写真や写真集を見て下さって、 「あなたの写真を見ると、また写真撮りたくなってくるなぁ。動きがあって良い感じですねー!」って言ってくれたのが嬉しかったです。 須田さんありがとうございました。忘れません。
※追伸 平永町橋ギャラリーを須田さんが頑張ってらっしゃる時に、私に「今度、あなたの写真と私の写真で二人展やりましょうよ!」ニコニコした表情で声をかけて下さったこと今でも忘れていません。あの時はあまりに大きな存在(今でもですが)と若ぞうの自分だったのでご遠慮してしまいましたが。若手の勢いをも巻き込もうとして下さる須田さんに頭が下がる思いでありました。

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