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2019.08.09 Friday

神居古潭。大雨警報のあと。



2019.07.21 Sunday

故・丹野章先生別荘。

2015年8月5日に89歳で亡くなられた師匠、写真家丹野章先生の別荘に行ってきた。

親友で兄弟弟子のOとロケハンというか、しばらくぶりだったので、とりあえずロケハン的な感じ。

ぼくが最後に別荘に行ったのは、先生が亡くなられるちょうど1年前の2014年8月だったから約5年ぶりのことだ。

先生の奥さまの弟さんが昨年初めくらいまで管理人の役割として住んでいたが、病で亡くなられてしまったそうで、そのことは奥さまからお聞きしていたけれども、いざ訪れてみると、こんなに短時間でこうも荒廃するのかという感じになっていたことに驚く。ときどき奥さまとご子息が滞在するというが、鍵を開けて中に入ってみると、空気がぼわーんと漂っていて正直カビ臭い。



(夜暗くなってからの写真だから尚の事、怖い感を盛った状態ですが、見た目は白く綺麗な建物です)




今回は、窓を開けて空気の入れ替え、床の掃除、暗室機器の点検と保存処置を重点的にやらせてもらった。

別荘にはわずかのオリジナルプリントが残されてあるが、重要なネガなどは残されてなく、その多くは、都内晴海の先生のご自宅に保存されている。

以前このブログにも書いたが、2015年に先生が亡くなられた当初、突然「俺が丹野さんの一番弟子だ!」と言わんばかりの横柄な態度を取って振る舞った写真家がいたことが我々が先生の残された仕事をきちんと受け継ぐことが出来なかった最大の理由だったと言わざるを得ない。先生が生前から手掛けてきた自身のアーカイブ活動を、阻止し踏みにじった実行犯こそ写真家Kだ。半ば口封じをされるかのように追悼が出来なかったのも非常に残念な出来事だった。

当初、ご家族はその写真家を信用しているとして私たちの助言を一切聞きいれなかったが、先生が亡くなられて4年が経ったいまは「写真家Kとは関係を切っています」ときっぱり。長いこと私たちは写真家Kに騙されてきた。そして我々には申し訳なかったとも。家族と写真家Kとの間に何があったかわからないが、時間が真実を明らかにさせたのだろう。

2019.07.07 Sunday

谷口雅彦写真アーカイブ室について。おしらせ。

[谷口雅彦写真アーカイブ室]は、2007年9月に、谷口雅彦自身の写真家活動をアーカイブする目的として設立いたしました。おかげさまで今年で12年目を数えます。

その間、長年の写真家活動における写真作品(オリジナルプリント、主にビンテージ)、ネガ、撮影メモ、日記、新聞雑誌などの掲載記事、制作過程の映像やメディア出演の音声や映像をアーカイブしてきました。

 

[谷口雅彦写真アーカイブ室]の主なアーカイブコレクションは以下の通りです。

 

 

 

[谷口雅彦写真アーカイブ室]

【写真作品1993年から現在まで】ビンテージプリント&35ミリモノクロネガ&35ミリカラーネガ&資料(新聞、雑誌、ラジオ出演音声データほか)

【少年期1970年・1977年から1985年まで】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーネガモダンプリント(1988年)

【青年期1986年から1988年まで】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーネガ&35ミリカラーポジ&モダンプリント(1988年)

【サラリーマン時代1989年から1992年まで】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーポジ&モダンプリント(1988年)

【舞踏】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーネガ&35ミリカラーポジ&デジタル写真データ&ビンテージプリント(1994年・1997年・1998年)&映像資料

【ストリップ】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーネガ&35ミリカラーポジ&ビンテージプリント&映像資料

【写真集&写真展『日々の旅1993-2002』】35ミリモノクロネガ&ビンテージプリント(1997年-2001年)

【写真集&写真展『稚児と大仏』】ネガ&ビンテージプリント(1999年)、モダンプリント(2004年)

【写真集『沈黙と饒舌と 原発のある町』】35ミリモノクロネガ&35ミリカラーポジ&デジタル写真データ&資料(新聞、雑誌、ラジオ出演音声データほか)

【写真集&写真展『キルリアン写真』】デジタル写真データ&ビンテージプリント(2014年)

【写真日記・写真日録1988年から現在まで】35ミリカラーネガ&35ミリモノクロネガ

【昭和天皇大喪の礼】35ミリモノクロネガ&資料(新聞、雑誌、テレビ報道ビデオほか)

【阪神淡路大震災】4×5ネガ&資料(新聞、雑誌、テレビ報道ビデオ、体験者インタビュー音声ほか)

【東日本大震災】デジタル写真データ&ビンテージプリント&資料(新聞、雑誌、テレビ報道ビデオほか)

【登戸宿河原完全写真化計画】デジタル写真データ&モダンプリント(2015年)

【小説家・アスリート・文化人ポートレート】デジタル写真データ&資料(新聞広告、雑誌広告)

 

【雑誌連載『非処女写真館』】35ミリカラーポジ&資料(雑誌連載)

【雑誌連載『素人娘写真館』】35ミリカラーポジ&資料(雑誌連載)

【書籍&雑誌連載『性職者の人々』】35ミリモノクロネガ&ビンテージプリント&資料(雑誌連載)

【雑誌連載『大人のお痴事』】35ミリモノクロネガ&デジタル写真データ&ビンテージプリント

【雑誌連載『パノラマライフ』】35ミリカラーポジ&資料(雑誌連載)

【書籍&雑誌連載『漂流遊女』】デジタル写真データ&資料(雑誌連載)

【WEB雑誌連載『老遊女』】デジタル写真データ&資料(WEB雑誌連載)

【雑誌連載『廃クォリティ(廃墟探訪)』】デジタル写真データ&資料(雑誌連載)

【雑誌連載『心霊スポット巡礼』】デジタル写真データ&資料(雑誌連載)

【書籍&雑誌連載『未解決事件の現場を歩く』】デジタル写真データ&資料(雑誌連載、書籍、取材資料)

 

文字資料

【写真ノォト】及び【撮影取材ノォト】

【現像記録ノート1988年から2016年まで】

【日記】(1985年9月15日から一時期断続したが、ほぼ現在まで継続)

 

 

詳細をお話しますと、自身が企画した1998年の『二十年記1977-1998』(北海道東川町文化ギャラリー・出品点数約800点)、2007年の『からだについての写真表現』(北海道深川市東洲館 出品点数約300点)の二つの展覧会が基礎となり、2007年に故郷北海道旭川でアーカイブ室がスタートしました。今思えば展示自体が、将来アーカイブを形成するであろう構想をもっての展示でした。

続いて1993年から本格的に写真家としてスタートを切り現在に至るまでの展覧会などで出品発表したビンテージプリントを中心にアーカイブを進めて参りました。

 

また、祖父のカメラを借りて3歳で初めて撮った1枚のビンテージ写真(『母の笑顔』ネガは現存せず)から、9歳で自身のカメラを手にし、【少年期1977年-1985年】は手の届く身の回りの人々(家族や家族との旅行、友人)、近所の風景、趣味と興味(天体、鉄道、スーパーカー、アイドル歌手のライブ)を、1986(昭和61)年に上京し、【青年期1986年-1988年】の大学専門学生時代は、友人知人をモデルにしたポートレート、湘南の海、鎌倉の風景、日本一周の旅など。少年期から青年期に至るまでの写真を趣味とした時代の写真もあらためて見直すと、時代的にも貴重な記録となっています。この時期はネガで残っている写真が多いのですが、一番古い時期に相当するため、ネガカラ―の色彩が失われつつありモノクロネガはカビ汚染が発生している箇所も見受けられます。この点も極力これ以上劣化が進まないように色々な対策を研究しています。画像復元の関してはデジタルデータ化をしたものから当時の情報を損なわないようにしながらアーカイブすることを心がけています。

 

1988年の日本一周の旅をきっかけに、一眼レフカメラとは別にコンパクトカメラも手に入れ、腰に付けたり、2000年頃からは首からぶら下げて、外出する時は必ずというほど毎日、日記のように日々を記録することを続けてきました。当初は[写真日記]と名付け、2011年の東日本大震災以降は[写真日録]という名で、その行為は30年後の現在も継続しています。

 

また写真関係の仕事【サラリーマン時代1989年-1992年】に就いたは良いが、写真作家への憧れがあきらめきれず、会社の仕事の合間をぬっては、同世代のアーティスト志望(映画監督、音楽家、テレビカメラマン、詩人、漫画家)の仲間たちと積極的に関わり、写真以外の表現者たちと交流誌『PROOF』を発行し切磋琢磨した時期も、[写真日記]などで記録されています。この時期のアーカイブは、まだ時系列にネガやプリントをまとめている段階です。今後のまとめ方によっては貴重な発見があるかもしれません。

 

身体表現、「舞踏」や「ストリップ」も、時系列や体系的にまとめる作業も進めています。

谷口のユニークなところは、それだけではなく、日々の記録や、時代を写した写真(毎日新聞ニュース写真年度賞特選『大喪の礼 車列に飛び込む人たち』)なども、含まれ、また「他火」と定義し繰り返した旅(日本全都道府県)の写真も貴重な記録です。

 

いままでの12年間のアーカイブで感じたことは、写真家本人が意図としないところで違った意味でその写真が貴重なものだと知らされる体験です。2011年3月11日に起きた東日本大震災がそうでした。こちらはそのつもりではなくその街を記録していたのですが、震災により地震、津波被害で失われた町や原発事故で入れなくなった町の被災以前の写真が大変貴重な記録となりました。
また2017年にスタートした[谷口雅彦写真全集]プロジェクトで制作した第1号から第10号までのラインナップ写真集も、アーカイブを基に進められたものでした。


写真アーカイブの魅力のひとつは、意味があると思える写真を保存するのはもちろん、一見意味のない写真に意味がある(存在価値)を見いだすことにあります。


[谷口雅彦写真アーカイブ室]は、前述の通り、写真家谷口雅彦の写真活動をアーカイブする機関です。ゆくゆくはいつでも閲覧できる一般公開を目指しています。

 

 

 

[皆さまにお願い]

このたび[谷口雅彦写真アーカイブ室]では、現在、皆さまのご家庭などで不要になりました写真や写真アルバム、写真ネガなどを探しております。

例えば、ご自宅を建て替えたり、あるいは壊したりされる時に、処分しようと思われている写真はありませんか?

お亡くなりになられたご家族が撮られた写真など、処分したいのだけれど廃棄してしまうのは偲びないという写真などがありましたらぜひ、わたしたちにお譲りいただけないでしょうか。いま迷われている方でも、その時点で気軽にぜひ一度ご連絡いただき問い合わせしてみてください。写真アーカイブの専門家であるわたしたちは、あなたさまからお譲りいただいた写真を、よりよい形で未来に生かすものとして公的に活用することを考えております。

撮影した時点では一個人での記録だった写真が年代時代を重ねることによって公にとって大変貴重な過去の記録になることがあります。

わたしたち[谷口雅彦写真アーカイブ室]では、このたびアーカイブ室内に[時代写真発掘活用プロジェクト]を立ち上げ、皆さまからのご善意によってお譲りいただいた写真資源をこれからの未来に生かす貴重な遺産として見直す活動ををスタートさせています。時代写真といっておりますが、幕末明治期とかではなく昭和、そして平成の比較的最近撮られたものでも構いません。世の中は日々刻々と変化して移り変わるものですから、何かしら意味のある写真遺産になると思います。

またお亡くなりになられたご家族ご親戚、知人、友人で、趣味で写真を続けられていたという方の、いわゆる作品としての写真が残されている場合も、ぜひ一度ご相談ください。わずかでも故人の遺志を継ぐことが出来るかもしれません。繰り返しになりますが、わたしたちはいわゆる構図や写真作品としてきちんとした構成された写真ばかりを探しているのではなく、日常の風景や出来事などが写っている、例えるなら家族のアルバムに貼られているような写真も探しています。

いずれにしてもそのためには実際の写真のプリントやネガを譲っていただけるのがわたしたちの希望なのですが、例えば古い写真は手元にあるけれども「写真プリント自体は譲ることはできないが協力はしますよ」という皆さま、それでも構わないです。その際は、一度お写真、あるいはネガをわたしたちがお預かりしまして、スキャナーでデジタルデータ化をさせていただき、現物はお返しいたします。また家族写真などで写真に写られているお顔を出すのは希望されない場合は、こちらで活用させていただく際にはお顔にぼかしを入れるなどの処置をさせていただきます。

みなさまぜひご協力お願いいたします。

なおお問い合わせは、

masahiko.enken@gmil.com

までお知らせください。

 

よろしくお願いいたします。

 

                         谷口雅彦写真アーカイブ室

 

                                   

 

2019.06.25 Tuesday

セッション〜ピアノと身体〜終了。

[セッション〜ピアノと身体〜]

当初、予定していた定員よりも倍に至るくらいの来場者をお迎えすることができ、盛況のうちに無事終了することができました。

ご来場下さった皆様。ありがとうございました。

共にプロデュースしていただきましたカフェもんさんに、心から大変感謝しております。重ねてありがとうございました。

プロデュースENKEN(写真家谷口雅彦)

2019.06.17 Monday

開催!セッション 〜ピアノと身体〜

 




私がプロデュースします。
湘南初お目見え! 皆さまぜひご来場下さいませ。

[セッション 〜ピアノと身体〜]

 舞踏家 榎木ふく×ピアノ 大悟

[Session ~ piano and body ~]
Dancer Enoki Fuku× Piano Daigo

片瀬旧道にある小さな昭和建築のカフェを舞台にピアニスト大悟が奏でる旋律と舞踏家榎木ふくの身体が重なり合います。 日常が非日常となる隙間に何が生まれるのか。

20代の駆け出しの写真家だった頃に舞踏家大野一雄(1906-2010)に出会い以降、数々の身体表現者との写真作品を発表してきた写真家谷口雅彦ことプロデュースENKENとcafe&harb ハウス・もん が共に企画する第一弾。

 

The melody of the pianist Daigo playing on the stage of the small Showa architecture cafe in Katase old road and the body of the dance Enoki Fuku overlap. What is born in the gap where everyday becomes extraordinary?
When he was a 20's fledgling photographer and met with Butoh artist Kazuo Ohno (1906-2010), he has produced photographs with many physical artists, and has produced ENKEN and cafe & harb House Monk that produced by Masahiko Taniguchi. The first one to plan together.

 

 

2019年6月22日(土)15時から16時(開場14時30分) 料金 2000円 (小学生まで半額) (ハーブティ+お菓子付)

場所 cafe&harb ハウス・もん 藤沢市片瀬3-6-16

予約 問い合わせ 0466-26-4511 (ハウス・もん)

 

共催 cafe&harb ハウス・もん   

  プロデュースENKEN

協力 L IAISON MISA

 

#舞踏 #榎木ふく #PIANO大悟 # cafe&harbハウスもん #プロデュースENKEN #LIAISONMISA #藤沢市 #片瀬 #江ノ島 #イベント #セッション #音楽 #身体 #butohdance

 

 

[榎木ふく]

2007年、暗黒舞踏家・小林嵯峨に師事。小林嵯峨+NOSURIに所属し以後、小林嵯峨振付による主な作品に参加。一方、ソロ作品も継続的に発表を続ける。10月13日(日)ソロ公演を予定。

[寺岡大悟]

音楽家(作曲・楽曲制作・音楽プロデューサー)。ピアニスト、ボイスコンサルタント、カルチャースクール講師。2019年、写真家谷口雅彦(プロデュースENKEN)と写真家・音楽家のユニットSHAOS@ONG(シャオシャオン)を結成。

[プロデュースENKEN]

写真家谷口雅彦。藤沢市片瀬在住。プロデュースをするときはプロデュースENKENとして活動。アートイベント[完全写真家計画]ゼネラルプロデューサー。

写真家丹野章・細江英公に師事。1992年、舞踏家大野一雄と出会い、以後、身体表現者たちとのセッション作品を発表する。写真展・写真集・書籍多数。1989年、毎日新聞社ニュース写真年度賞特選受賞。2019年から『八戸完全写真化計画』(青森県八戸市)を始動。谷口雅彦写真アーカイブ室代表。プロデュースENKEN代表。3.11を忘れない写真家の会代表。日本写真学会会員。 

 

 

2019.06.16 Sunday

丹野章写真展










今は亡き私の師匠、写真家丹野章の写真展です。さきほど搬入を終えました。明日から初日です。

それにしても、丹野先生のご家族から急遽呼ばれて駆けつけた搬入でしたが、会場に来ていた写真家さん?(名刺交換も無く正式な挨拶も無く結局誰かもわからず)どの順番でどのように展示するのかを指示待ちしていたが一向に誰も展示作業に入らず(というか誰も展示の仕方がわからず)、仕方なく兄弟弟子のO君と2人で80点あまりの作品を壁に展示することに。

その件とは全く関係ないので、生前、師匠がやりたがっていた展覧会です。ぜひご来場下さいませ。

「来日したクラッシック音楽名演奏家」 丹野章 オリジナルプリント写真展

6月17日(月)〜6月22日(土) 11:00 〜18:30(最終日17:00まで)

画廊るたん 104-0061 東京都中央区銀座6-13-7 新保ビル2F TEL/FAX 03-3541-0522

It is a photo exhibition of my late master, photographer Tanno Akira. We just finished loading. The day after tomorrow is the first day. "Classic music performers who came to Japan" Akira Tanno original print photo exhibition June 17 (Mon)-June 22 (Saturday) 11: 00-18: 30 (last day until 17:00)

Art gallery Rutan 104-0061 6-13-7 Ginza, Chuo-ku, Tokyo Shinpo Building 2F TEL / FAX 03-3541-0522

#写真家丹野章 #オリジナルプリント #写真展 #音楽家 #画廊るたん #丹野章アーカイブ #写真家

 

2019.06.11 Tuesday

谷口雅彦プロフィール。

ある出版物にプロフィールを掲載する機会があり、改めてプロフィールを書くことになったので、ブログにもあげておきます。

 

谷口雅彦 たにぐちまさひこ

写真家。アートプロジェクト[完全写真化計画]プロデューサー。

北海道旭川市生まれ。9歳から写真を始める。進学のため上京。在学中から写真家丹野章に師事。1992年、舞踏家土方巽記念アスベスト館で行われていた写真教室CORPUSに参加。舞踏家大野一雄に出会い、写真家細江英公に学ぶ。以後、舞踏家など身体表現者たちをモチーフに、国内外のギャラリー、美術館、オルタナティブなどで写真展、写真誌などで作品を発表する。また、出版や広告の分野で小説家のポートレート写真やドキュメンタリー写真、サイエンス写真など様々な写真表現にも挑戦している。写真集『日々の旅 1993-2002』(ワイズ出版)ほか多数。

谷口雅彦写真アーカイブ室代表。プロデュースENKEN代表。[3.11を忘れない写真家の会]代表。一般社団法人日本写真学会会員。

2019.05.14 Tuesday

谷口雅彦写真アーカイブ室から。



私は1986(昭和61)年に進学のために上京してきた。それ以前の高校の時に初めて東京を体験したことがあり、夏休みや冬休みになると訳あって埼玉南浦和の従兄弟の家に間借りして暮らしていた。毎日決まって行かなきゃならない要件を満たしたあと午後からはフリーの時間だったから都内を散策したり、時には闇雲に知らない町をうろうろした。その頃に撮った写真は無目的な写真だったが、それだけに今になっては失われた町の記録として貴重な写真となっている。

今回アップした写真は、それそれ共に1980年代半ばに撮影したもの。半分から上が、神奈川県藤沢市にある江ノ島。下が北海道旭川市の石狩川沿いの風景。 それにしても、なんとなく似てないだろうか。 山というか島というか稜線や鉄塔のように立つ尖った感じなんかもそっくりに感じる。 何を言いたいかというと人間の深層意識というか刷り込まれた記憶について。

1984年に初めて湘南に行った時に出会った江ノ島に一目惚れてしまった経験をした。のちに私が上京を決断した本当の理由は、湘南鎌倉が好きになったことだった。上京し大学に進学したあとも暇さえあれば湘南に行くということを繰り返し、専門学校時代には仲間たちと湘南を舞台にした自主映画を制作し、サラリーマンとして東京都内の会社に勤めながらも1990(平成2)年、相模湾の市町村一帯が一つになって開催した[サーフ'90]にも参加、1998年から3年ほど藤沢市鵠沼海岸に居を移して写真作品『稚児と大仏』を制作するまでに至る。

がしかし、そんなに関わってきたのにもかかわらず私自身、何故湘南が好きなのかは正直はっきりとこれ!と言えなかったのだった。 それが今から何年か前、過去に撮影した写真をデジタルアーカイブをしようとプロジェクトを進めていた時、故郷旭川の写真に石狩川沿いの小高い丘に建つ東海大学が写る写真を見て驚いた。

な、なんと湘南の江ノ島にそっくりだったからだ。

つまり私は、幼き頃から親しんでいた風景を、新たな場所の風景に重ねていたということを知らされたのだった。それも過去に私自身が撮影した写真たちによって。

写真の面白いところはそこでもある。これはもしかしたら写真だけの有効性ではないだろうか。断然絵画とも違う。絵画は意識をしないと描かれないからだ。写真は無意識がたくさん写る。写真は無意識を意識化させる装置である。 だから撮影するその瞬間には、何故撮るのかをあまり深く考えずに、感性のまま撮影を繰り返すことをお勧めしたい。ただこれは写真を撮り始めて数年とかしばらくはという意味だ。写真を撮り続けある程度の時期になったら、あらためて撮影した写真を見直しすることをお勧めする。そこで無意識が意識化する発見があるだろう。

私が写真をアーカイブする理由の一つはそこにある。

ちなみに江ノ島の灯台は2003年に現在の展望灯台に建て替えられ、旭川の東海大学旭川キャンパスも2014年に閉鎖されてその歴史を閉じた。

I went to Tokyo to go on to college in 1986 (Showa 61). I experienced Tokyo for the first time at a high school before that, and I was living in the house of my cousin in Saitama Minamiurawa, translating from summer vacation to winter vacation. After meeting the requirements I had to go on a daily basis, it was a free time in the afternoon, so I took a walk around the city, and sometimes I wandered around a city I do not know about dark clouds. The photographs taken at that time were purposeless photographs, but it is now a valuable photograph as a record of a lost town. The photos I uploaded this time were both taken in the mid 1980's. Half to the top is Enoshima in Fujisawa City, Kanagawa Prefecture. Below is the scenery along the Ishikari River in Asahikawa, Hokkaido. Even so, it may not be similar. It feels like a mountain or an island or a sharp edge standing like a ridge or a steel tower. About what you want to say about the deep-consciousness of human beings or imprinted memories. When I first went to Shonan in 1984, I had a first-hand encounter with Enoshima. The real reason why I decided to go to Tokyo later was that I liked Shonan Kamakura. Going to Shonan repeatedly if you have time to go to Tokyo after moving to university in Tokyo, and while you are in vocational school, make an independent film on the stage of Shonan with your friends, and while working for a company in Tokyo as a salary man, 1990 Participated in [Surf '90], which was held in 2008 as one of the municipalities of Sagami Bay, and moved to Suganuma Beach in Fujisawa City for about three years from 1998, and received a photo work "Baby and Big Buddha". To produce. However, despite the fact that I have been involved so much myself, why I like Shonan is honestly clear! I could not say that. When I was working on a project to digitally archive photos taken in the past several years ago, I was surprised to see a photograph of Tokai University, which is built on a small hill along the Ishikari River, in the photograph of his hometown Asahikawa. . That's because it was exactly like Shonan's Enoshima. In other words, I was informed that the scenery I had been familiar with since my childhood was being superimposed on the scenery of a new place. It is also by the photos I have taken in the past. The interesting part of the picture is also there. Maybe this is just the effectiveness of the photo. It is definitely not a picture. Paintings can not be drawn unless they are conscious. The picture shows a lot of unconsciousness. Photographs are devices that make unconsciousness conscious. Therefore, at the moment of shooting, I would like to recommend that you repeat shooting with sensitivity without thinking too much about why you are shooting. However, this means that we have been taking photos for a few years or so. If it is time to continue taking photos, it is recommended to review the photos taken again. So there will be discoveries that make unconscious conscious. One of the reasons I archive photos is there. By the way, the lighthouse of Enoshima was rebuilt into the present outlook lighthouse in 2003, and the Tokai University Asahikawa campus of Asahikawa was closed in 2014 and the history has been closed.

#湘南 #江ノ島 #藤沢市 #写真の魅力 #無意識の意識化 #写真 #谷口雅彦写真アーカイブ室 #写真家谷口雅彦 #北海道 #旭川市 #東海大学 #Shonan #Enoshima #Fujisawa #Photoattraction #Unconsciousawareness #Photo #MasahikoTaniguchiPhotoarchiveroom #PhotographerMasahikoTaniguchi #Hokkaido #Asahikawacity #TokaiUniversity

2019.05.10 Friday

怪談実話FKB饗宴7

私が唯一書いた実話怪談です。

 

平山夢明監修「怪談実話FKB饗宴7 」(竹書房文庫) 文庫 – 2014/9/29

今回も新たな書き手を召喚してお届けする、書き下ろし実話怪談アンソロジー「饗宴」シリーズ第7弾。死出の旅路に紛れ込む様々な恐怖実話!

  • 文庫: 255ページ
  • 出版社: 竹書房 (2014/9/29)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4812488982
  • ISBN-13: 978-4812488980
  • 発売日: 2014/9/29
  • 梱包サイズ: 15 x 10.6 x 1.6 cm

 

 

2019.05.01 Wednesday

ご挨拶。

令和の時代がスタートしました。
心よりお慶び申し上げます。
安寧の日々が末永く続きますように。
令和元年5月1日。

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