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2018.11.24 Saturday

配信情報

次回の[キタシバファイル]は、11月26日(月)19時から20時です。FRESH!LIVEとYouTubeLIVEからの同時配信です。
[ミンナナカヨシ]は、12月27日(木)18時30分から19時30分まで、FRESH!LIVEで配信いたします。
2018.11.24 Saturday

その後、湘南から。

気がつけば11月も末、あと1カ月ちょっとで今年も終わりですね。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
私は昨年末、東京の世田谷から神奈川県藤沢市に移り住んできました。気がつけばもうすぐで1年になります。

移転の際、長らく別にしていた自宅とアトリエを一つにして、これからの自分の行く道を模索する機会になればと思っての転居でした。

思えば20年前の1998年から約3年、藤沢市鵠沼海岸に自宅を構え(アトリエは川崎市登戸)、江の島や鎌倉を撮り、2004年に新宿コニカミノルタCギャラリーで『稚児と大仏』という写真展と、同名の今でいうZINE写真集を制作しました。
藤沢市に住むのは、それ以来ぶりになります。
1984年、17歳の頃、まだ生まれ故郷の北海道旭川市に住んでいて、夏休みを利用して従兄弟の家にお世話になった時に、まだ国鉄だった横須賀線に乗り鎌倉、江ノ島電鉄で江の島に来たのがこの町との最初になります。

それがきっかけとなり、大学進学を機に上京し、学生時代は晴れたら湘南の海に行って写真を撮っているという日々を過ごしました。
大学では、日本国文の中世文学を専攻し、卒業論文は『平家物語と義経記の描写比較と義経伝説について』でしたので、その関係で鎌倉にも足繁く通ったことを憶えています。
肩にアルミのカメラバッグと三脚を担ぎ、北鎌倉の寺々を巡りながら写真を撮っていた頃が懐かしいです。

1990年には、前年にサラリーマンとして都内世田谷にある写真関連の会社に勤めていましたが、湘南一帯で開催されたプロジェクト[サーフ90]に参加し、イベント関係のレポート取材に挑戦します。
いわば湘南一帯、特に藤沢と鎌倉は、私が上京に至ったきっかけとなった場所です。

この20年、写真家として世の中のみなさまに生かしていただきましたこと、大変感謝しております。特に出版界には頭が上がらないくらいの仕事のきっかけをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
こんなこと言うと、写真家人生終わりにするの?みたいな感じですが、いやいやまだまだ頑張りますよ!
今はひとまず頭を冷やして、自分がやらなければならないことをしっかりと考え直す作業をしています。
東京を離れ、あらためて自己を見つめる良い機会に恵まれています。

また年明けから、じわじわっと新たなスタートがあることでしょう。

先日は、青森県八戸の写真家高田幸枝さんから嬉しいメールをいただきました。高田さんとは、2013年から[写真ユニット#527]という活動をしています。
嬉しいメールとは、昨年から約束していた[八戸完全写真化計画]をスタートしよう!という報せです。
[完全写真化計画]とは、私が主体で活動しているプロジェクトです。始まりは2008年に[裏新宿完全写真化計画]という写真展を開催し、2015年から2016年にかけては神奈川県川崎市多摩区で[登戸宿河原完全写真化計画]を、昨年から今年にかけては、秋田出身の舞踏会土方巽の著書『病める舞姫』をテキストに[病める舞姫完全写真化計画]を地元秋田のNPO土方巽記念秋田舞踏会と一緒にプロジェクトを敢行いたしました。
[完全写真化計画]とは、わかりやすく言うと、写真で何ができるかというお題目を一貫して具現化する実験的計画という意味です。

完全に写真化?ってそんなことできるの?ってみなさんは言われるでしょう。
そうなんです。言葉では完全に写真化します!と言えますが、実際は何をもって完全なのかもわからないですし、まして完全に写真化ってことは何を示してのことがわからないと思います。そのことは私自身、重々承知の上での命名です。
いわば、スローガンと言った方が良いのかもしれません。

事実、不可能かもしれないけれど、写真という表現を用いて限りなく完全に向けて挑戦していくということです。

ともかくも来年からは、[八戸完全写真化計画]がスタートできることは、大変喜ばしいです。
これについては、まだ詳細はお話しできませんが、八戸を盛り上げるきっかけにはなれそうです。

話は戻りますが、八戸と並行して、20年ぶりに藤沢を舞台に写真を撮って行こうと思っているところです。

みなさま、お近くに来た際にはぜひ声をかけて下さいませ。

その際は、面白スポットなど案内しますよ。




2018.09.17 Monday

ありがとうございました。

秋田県立美術館県民ギャラリーで開催した企画展『病める舞姫完全写真化計画』(企画NPO土方巽記念秋田舞踏会)は、おかげさまで無事終了することができました。
会期中、1000人以上の来場者が来て下さいました。
有形無形にお力を貸していただきました皆さん、大変ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

昨年初めに依頼されたプロジェクトですが、とりあえず一通りの約束事の仕事は終えることができました。
あとは私の手から離れた写真集を会の方々や秋田のみなさんや土方巽ゆかりの方々がどのように作り上げて行って下さるか、今から楽しみです。

この約一年半、いろいろなことがありました。でも一度も手抜きをしませんでしたし、真摯に対応させていただきました。
もちろん私の力が足りなかったところもあると思いますが、魂込めて制作した写真作品1点1点が大切な宝物となりました。

写真集『原作土方巽 病める舞姫 東北歌舞伎計画秋田公演』(写真谷口雅彦 企画NPO土方巽記念秋田舞踏会)は、世に出たばかり。
これからが試されることでしょう。
制作中は、アードディレクターの宮古美智子さんや編集の中津宗一郎さんからは、私の写真作品について良い感触をいただいてましたが、秋田では綺麗すぎてつまんないとか言われたり、こんな出来の悪い写真集を押し付けられた会の気持ちもわかってほしいとまで言われてしまいましたが、いざ出版となり展示も終わった段階での世の中の反応はまずまずのところではないかなと自分自身ではそう思っています。

当初、土方巽の遺した『病める舞姫』に触れ、新たなことをすることに、舞踏関係者の方々からは批判的な言葉をいただきました。正直、そのことについて私なりに悩みました。

その悩みを旧知の舞踏家で土方巽の最後の弟子である和栗由紀夫さんに打ち明けました。和栗さんは「谷口さん、今回のプロジェクトは、ぼくも谷口さんも互いに師匠のことを継ぐ形での試みだから、先人がやったことと必ずや比べられると思うし、けして褒められることはないと思う」と言われ、
「誰かがやらなければ、その先の風穴を開けられなく、それだと頭打ちになってしまうと思う」と。
「だからやってみることに大変意義がある、ぜひやってみましょう」と言われてのスタートでした。
このことについては、後日何かの機会にお話ししようと思っているので、ここではこれくらいにするが、そんな経緯でプロジェクトを受けてスタートすることになった経緯があります。

ちなみにその和栗さんは撮影が終わった4ヶ月後に急逝されました。

そういう意味では、私はこの機会に和栗さんを撮り、世の中に遺すことが出来たことは幸せなことだと思いました。きっと天国でも和栗さんは喜んでくれていることでしょう。

後日、和栗さんの奥さまの香織さんからお電話をいただき、和栗さんが昨年6月に撮影のために東京を出る際に、「谷口のために行ってくる!」とご自宅をあとにされたそうです。私はなんて幸せ者でしょう。和栗さんと私の四半世紀に渡る絆が今回の写真集を決定付けたと言っても良いです。

今回のプロジェクトについての詳しい経緯については、あらためてお話が出来る機会がくることでしょう。

今は、ひとつのプロジェクトが無事ひと段落できたこと正直ホッとしています。

私はまた新たな場所で新たな人達に声をかけていただき、そこでまた新たなプロジェクトをやり通して行くでしょう。
現に北海道や青森、私の住んでいる湘南などの関係者さんから、新たなプロジェクトや案件を頂戴しています。 引き続き、新しいことに挑戦することをこれからも恐れずに写真で何ができるかを追究して行きたいと思っています。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

谷口雅彦

2018.08.07 Tuesday

2018年9月1日‐8日 写真 谷口雅彦『土方巽生誕九十年記念 病める舞姫完全写真化計画』

 

来る9月1日から8日まで。

 

秋田県立美術館市民ギャラリーで『土方巽生誕九十年記念 病める舞姫完全写真化計画』を開催いたします。

主催は、秋田市を中心に活動しているNPO土方巽記念秋田舞踏会です。

アサヒグループ芸術文化財団の助成を受けています。

 

展覧会に合わせて、写真集『原作土方巽病める舞姫 東北歌舞伎秋田公演』がNPO土方巽秋田舞踏会から出版になります。

9月1日、2日は、世界有数のダンサーや舞踏家が秋田に集うアジアトライも開催されますので、ぜひみなさまご来場くださいませ。

 

2018.07.27 Friday

キタシバファイル配信!

 

7月29日19時から、FRESH LIVEとYouTube LIVEから[キタシバファイル]生配信!

 

出演

北芝健(元警視庁刑事)

谷口雅彦(写真家)

ゲスト 川口友万(サイエンスライター)

MC ユータUK (ライター 編集者)

 

運営 ビィズ・クロコ株式会社

 

番組登録お願いします。

 

http://freshlive.tv/kitashiba

 

#キタシバファイル #北芝健 #谷口雅彦 #川口友万 #ビィズクロコ株式会社

2018.07.22 Sunday

若き志士の写真。

 

https://withnews.jp/article/f0161002000qq000000000000000G00110201qq000014076A?utm_content=buffer334b6&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

 

このガラスの原版が、今から30年くらい前の1989年に東京新宿のコニカギャラリーで開催された「写真150年展」で展示されていた。初めて直面した幕末の志士のように感じられて、なかなかその場を立ち去ることが出来なかった。実際の撮影年は1880(明治10)年代だとされているようだが。もっと詳しく言うと、私はこの写真というよりも、写っている若き志士の美しいとも厳しい瞳に釘づけになったのだった。それと同時に写真の持つ記録性に驚きと発見をした。上手く言えないが、この写真の前に立つ私(谷口)は、この写真が撮られた100年後にこの写真と対峙する体験をした。そこでピンときた。いやピンという軽い気づきではない衝撃と言っていい。
「自分(谷口)が撮った自分が生きた時代を写した写真も、今世で出会うことができない100年後の人たちと対峙することができる、それが写真なんだ」と。
そして「押しつけがましくではなく、その時その時を立ち会うかのように写真を撮り続けよう」と。
この年私は22歳、短大・専門学校を出て東京都内の営業写真館を経営する会社に就職したばかり。いわゆるサラリーマンになって半年。おかげさまで写真の仕事には就けたが、なんだかもやもやしている時期だった。名もなき人たちを対象に日々写真を撮り、暗室に入りフイルム現像、バライタ紙にプリントを繰り返す。これも大切な仕事であるのはわかる。でももう少し自分の撮った写真に責任がある仕事に就きたいと思っていた頃。いずれは一人立ちをして写真家になりたいと強く思うきっかけになった写真。
展示の仕方が、歴史的に貴重なガラス版であったため、手元のボタンを押すと30秒ほど薄明るい照明が点く。幸運なことに会場には来場者はまばらで、私が凝視している写真には近づく人はなかった。志士の写真に感動してしまった私はその30秒ほどの時間はあまりにも短く感じられて、点けては消え点けては消えを繰り返した。
(それでも飽き足らず、後日2、3回会場に足を運び、期間中その写真に写る若き志士を凝視した)

30年たった今、世の中に広く知られ「イケメン過ぎる」と言われる写真になっているのだという。私の写真体験も30年前のこと、そのこと自体もはるか昔の話しになるんだと。悲喜こもごも。

2018.07.22 Sunday

今井絵美子先生のこと



今井絵美子先生は昨年、残念ながらお亡くなりになりました。 私が撮影させていただいた写真は、生前先生が大好きな写真と言って下さり、福山文学館で開催された生前の回顧展にも、入口に大きく引き伸ばしたりポスターにして下さいました。 先日も、文学界関係者の方々が追悼される会でも遺影として飾らせていただきたいと連絡をいただきました。 今井先生は、華やかで包み込むようなほんとに温かい心の人でした。 私はこれからも、今井先生のことは忘れないです。 先生が生前から私の遺影は谷口さんが撮ってくれた写真!と言って、各出版社の担当編集者さんに話して下さってたようです。 写真家冥利に尽きます。 今井先生、安らかにお眠り下さい。 そしてまたいつかどこかでお会いできるのを楽しみにしています。

2018.07.10 Tuesday

秋田さきがけ新報社記事掲載。

本日、秋田さきがけ新報にて記事が掲載になりました。

ありがとうございます。

 

2018.07.05 Thursday

今年初めて秋田に滞在。


今年に入って初めて秋田に滞在。 今回は、9月1日から8日まで開催する写真展『病める舞姫 完全写真化計画』の会場下見と地元新聞社[秋田魁新報]のインタビュー取材を受けるための滞在。 掲載の写真は、合間にホッと一息つける場所。眺めが良くて気持ちが休まります。 現在、写真集出版のクラウドファンディング期間中です。秋田を愛するみなさま、舞踏を愛するみなさま、土方巽を愛するみなさま、写真を愛するみなさま、ぜひご協力下さいませ。よろしくお願いいたします。

 

https://fan-akita.sakigake.jp/project/report/386

 

撮影 加藤公一さん

 

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2018.07.01 Sunday

長崎天草地方の潜伏キリシタンの遺産

長崎天草地方の潜伏キリシタン遺産が世界遺産に決定。

実は私の母方の祖母が長崎島原なのですが、隠れキリシタンだったようなんです。表向きは浄土真宗です。


祖母の法名は、
皈天院釈尼妙誓信女


というのですが、
一見は浄土真宗の法名にならって付けられたと思われると思います。
私も、最近まで何も疑問もなく浄土真宗の仏式でお墓のあった島原で祖母の法事などを行なっていましたが、
今から2年前に、あるムック本の取材で訪れた長崎のある離島でお会いした郷土史家の方が、「戒名や法名の一番頭に皈という字が入っている人は、隠れキリシタンの可能性が高い」と教えてくれたのです。


「皈」という字は、「かえり」と読みます。ローマ・カトリック教会の用語で、信者が天に帰る(死亡する)ことを帰天と言うのと同じ意味だと思います。

昔のお墓石に「帰天」と書かれているのを見た方もいると思います。

この写真は、長崎県東彼杵の道の駅脇に集められてあった古いお墓に書かれていたのを、見つけたものです。

相当古い時期の墓石だと思いますが、良く見ると「皈」ではなく、自に反と書かれています。

調べてみると、

「漢字文字資料館」

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0234/

というサイトに、大変興味深いことが書かれていました。

一部引用させていただきます。

「帰」は旧字体では「歸」と書きますが、この左側の部分からまず「止」が省略され、さらには残された部分(「追」から「しんにょう」を省いた形)が、「自」へと変化しました。これがさらに「白」へと変化したのが、「皈」の字の左側なのだそうです。
では、右側の「反」はどこから来たのかというと、こちらは「かえる」という意味がもとになっているといいます。つまり、「反」は「返」と意味が似通っていますから、そこから「帰」の異体字の一部分として使われるようになった

ということです。

この説は、異体字研究の大家・杉本つとむ先生の『漢字百珍――日本の異体字入門』(八坂書房)に書かれているそうです。

もともと「自(みずか)ら反(かえ)る」というところから、「自」と「反」を組み合わせて「かえる」と読む漢字があって、それが「皈」へと変化した

という説もあるそうです。

いずれにしても「皈」は、「帰」と同じ意味だということがわかります。

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